※『slow tempo giraffe graph』と同一夢主イメージで、変換の都合により天秤座で固定。申し訳ありません。
そういえば、自分と彼女が初めて言葉を交わしたのも、こういう日であったな。
そんな淡い既視感を覚えつつ、朝練もまだ始まらぬ早朝の校門前、屈託なくこちらに手を振り駆け寄ってきたを見下ろし、緑間は苦々しい思いを抱えて告げた。
「、お前は確か天秤座だったな」
「え? うん、そうだよ」
「……今日のおは朝占いなのだが、蟹座と天秤座の相性が、最悪だったのだよ」
「…………え」
ここで通常の天秤座であれば、そのようなことを告げられたところで、だからどうした、と蟹座の発言に思い切り呆れるか訝るかするだろう。あるいは気分を害するし、でなければ
取り合わない。しかし、ここで言う蟹座とはかの緑間真太郎であり、天秤座とはのことである。つまりお互い、真剣と書いてマジである。
は一度大きく目を見開き、次いで焦り、自分が何かとんでもない過ちを犯してしまったかのようにうろたえた様子で頭を下げた。
「ご、ごごっ、ごめんね! 私、今日ちょっと支度に手間取っちゃって、おは朝占いちゃんと見られなくって……。あの、わかった、今日はあんまり近くに行かないようにするから!
本当に
ごめんね! それじゃあ、お先にっ」
狼狽でずり落ちた鞄を肩にかけ直し、踵を返して門の内側へと駆けていくの背中を、緑間は眉間にしわを寄せて見送った。その難しい縦じわは、今日一日の相性が最悪と
予測されると言葉を交わしてしまったことに起因するものでは、決してない。むしろ先のようなことをに告げなければいけなかった、自分に対してのものである。
もちろん、緑間にとっておは朝占いは絶対だ。しかしの方はというと、それほど件の占いの熱烈な信者ではない。時間に余裕があれば見る、その程度の一般的な視聴者だ。しかし
同時に、緑間の主義を揶揄することなく受け入れることができる、寛容な人間でもある。緑間が占いの結果、自分との接触を避けたいと願うなら、進んでその実行に協力する。
そんなこんなの事情をよく知り、今朝も緑間を乗せたリヤカーのおかげで一汗かいた高尾は額を拭いつつ、が去っていった方向を見つめて動かない緑間の背中に至極
呆れた横目を投げかけ言った。
「真ちゃんって頭いーけどバカだよな」
「!? どういうことなのだよそれは!?」
と、勢い振り返った緑間だったが、勢いが良すぎたためか脚が変に絡まって、リヤカーの荷台に向いてつんのめりそうになった。
ともあれ、今日一日で一番の悩みとなっていた、その種は取り去った。が頭を下げた瞬間、やはり胸の中心をつついた心苦しさはつきまとうが、結果として自分の信条は貫いた。
ラッキーアイテム(アロン○ルファ)も持った。人事は尽くした。後は天命を待つのみだ。には、明日謝ろう。気のいい奴だ、きっと笑って許してくれるのだろう。しかしだから
こそ、きっちりと謝罪をしなければならない。こちらの主張で一方的にその行動に制限をかけてしまったのだ。自分に近づけないということがにとっていかほどの不利となるか、
その確証はないが、精一杯の誠意は示すべきである。
気づけばそんな考えが頭を占拠していることの自覚には至らず、それでも緑間の今日の運勢はこれで安泰のはずであった。
何やらおかしいことになり始めたのは、マネージャーであるとは結局一度も目線すら合わさず終えた朝練の、その後からであった。
教室の引き戸を開けようとしたら手が滑って指先が地味に痛くなった。数学で当てられた問題をきれいに間違えた。消しゴムをかけようとしたら3回に1回の頻度でノートを破いた。
黒板消しを取り落としてスラックスの裾が真っ白になった。課題提出の期限が気づけば過ぎていた。高尾にからかわれた。反撃しようと立ち上がった拍子に机で腰辺りをぶつけた。
同時に上着のポケットの中でアロン○ルファの容器が破損し、ポケットが二度と機能しなくなった。そして小さな不幸はまだまだ続く。
なぜだ。
緑間は普段の倍は疲れた体を引きずって、体育館へと赴いていた。一日の課程を終え、放課後、秀徳高校バスケ部メンバーは今日もコートに集まり、練習を重ねる。
響くボールの音、スキール音。全体でのウォーミングアップの後、今日は3対3でのゲームを行う予定だった。しかし正直なところ、緑間は今の自分が通常どおりの力を発揮させる
自信に欠けていた。といっても自尊心の高い緑間のことである、その欠けは満月が十六夜の月に移ろった程度のものだが。ともかくも、本調子でないことは確かだ。
なぜだ、今日の自分には何が足りていなかったというのか。昨夜からの流れをたどってみても、就寝前・起床時の習慣、おは朝占いのチェック、ラッキーアイテム(結果
アンラッキーを招いたが)の所持、すべて滞りなく実行している。いまだかつて、この一連の流れを守ったにも拘わらずこれほど散々な一日はなかったと記憶する。
明らかに、何かが
おかしい。自分は何を間違ったのだろうか。
考えをぐるぐると巡らせながら放ったボールは軌跡を描き、リングへと下降する。その先を見届けぬうちに、集合のホイッスルが高らかに鳴り響いた。
腑に落ちぬ思いのまま、緑間は部員たちの列に加わる。
そして自分に割り振られたチームの試合が始まり、先の懸念は不要のものだったと、緑間は知る。
コートに入り、ジャンプボールに触れた瞬間、スイッチが切り替わった。散逸していた思考が、コート内を飛び回るボールに向け集約していく感覚。相手チームの動き、味方の目線、
ゴールまでの道筋、あらゆる情報が頭の中を高速で処理されていく。パスで受け取ったボールを、すかさず放った。テーピングを解いた指は、その情報の中から選び取った最適の
加減を、寸分の狂いもなくアウトプットした。イメージどおりの軌道をたどったボールは、鋭い音を立てリングをくぐり抜けた。
試合は緑間が属するチームの圧倒的優勢で進んでいく。双方への歓声はやまない。残り数秒、緑間の手にボールが渡った。足が踏むのは、当然のごとく3Pラインの外側。緑間は
よどみない動作でボールを構える。
やはり自分は、間違ったことなどしていなかった。昼間の不調はたまたまだったのだと自分を丸め込めるほどには、気分は回復していた。試合中の全ての動きが、人事を尽くした
ときのそれであった。そうだ、確かに自分はやれること全てをもれなく行った。昼間から何度も思い返した事柄を、再度確認した。
膝を曲げ、ボールを掲げる。
それに、そうだ、今日はにも協力を仰ぎ―――そのときの光景が脳裡をかすめた瞬間、同時に、視界の端に映り込む影があった。
試合に集中していたはずの思考が一度に弾け、視線がそちらに吸い寄せられていく。ボードを片手に突っ立っていたと、束の間、目がかち合う。そして伏せるようにして逸ら
された瞳を確認した直後、緑間の手からボールが放れた。今朝方、高尾に言われた言葉が再生される。
真ちゃんって頭いーけどバカだよな。
伸びあがった軌道に乗ったボールは天井で跳ね返り、見事、相手チームに割り振られていた宮地の頭を直撃した。
ブザーが鳴り響く。
「!」
緑間は、観戦していた全ての面々と同様に呆気に取られるの腕を取り、そのまま体育館の外へと連れ出した。目を白黒させてついてきたと向きあい、とりあえず息を整える。
は焦った様子で、緑間の顔と体育館の出入り口の方向、交互に目を向け言った。
「えっと、あの、緑間くん? その、今日は私と近くにいちゃだめなんじゃ……て、ていうかさっきの、宮地先輩に……」
「そのことなのだよ。、すまなかった」
「へ、え? な、何が?」
「今日一日で、わかったことがある」
緑間の声音に、何か事の重大さのようなものを感じ取ったは、ようやく視線を固定した。やはりまだ体育館の様子が気にはなっているようだったが、緊張した面持ちで緑間の言葉
を待つ姿勢になる。緑間はそのことを確認すると、再度息を整え、口を開いた。ともすれば、自分の信じるものを一部ねじ曲げることにもなってしまう言葉。しかし緑間は、迷うこと
なく言い切った。
「おは朝占いは、確かに百発百中だ」
「は、はい」
「だが、一つだけ外していることがある」
「え……!? そ、そんな……それって?」
「今日の蟹座と天秤座の、相性なのだよ」
「…………え?」
目を丸くして自分を見上げるに、緑間は、今朝これとは逆の意味を告げたときの様子をだぶらせる。そのことに少しだけ怯みにも近い衝動も芽生えたが、それもほんの一瞬の
ことで、今のは焦りもうろたえもしなかった。気のせいか目に期待の色さえ輝かせ、緑間の言葉を確認するように呟いた。
「え……っと、蟹座と天秤座……てことは、もしかして」
「ああ。今日のオレとお前の相性は、悪いことなど微塵もない」
「ほ、本当?」
「本当なのだよ」
「……よ……よかった……!」
言って、緊張の解けた笑顔を見せたに、緑間の心の内もようやく安堵した。
思い起こせば、緑間とが初めて言葉を交わしたのも、まだ入学当初の初夏、蟹座と天秤座の相性が最悪との結果がおは朝占いに出ていた日のことだった。
部活が始まる直前、
唐突に声をかけてきたに、緑間は目を瞠った。恐らく入部当初の自己紹介か何かで言っていたのを記憶していたのだろうが、緑間はの名前と星座だけは、おぼろげながら把握して
いた。何か用があってのことだろう、口を開きかけたに、悪いが、と断りを入れた。その理由を説明する緑間に、さすがにしばしの間面食らっていただったが、すぐに、
それなら、と頷き去ってくれたのだ。あまりにも素直な対応をされたので、当の緑間も少々面食らった。翌日、再度話を聞いてみると、用件とは落し物のことだった。以前緑間が
ラッキーアイテムとして学校に持参し、不覚にもなくしてしまったあまり可愛くない犬のストラップ。体育館の外で危うく側溝に落ちそうになっていたところをが見つけて拾い、
あまり可愛くないところが高尾の印象に残っており、持ち主が判明したのだ。それを渡そうとしていたらしい。何のことはない、は確かに天秤座であったが、自分に不都合どころか
良い報せをもたらそうとしていてくれたのだ。
それから少しずつ言葉を交わす機会も増え、今ではすっかり緑間の内で親しい者の位置を占めているが、そのときから今まで、が緑間に与えるのは快い感情ばかりだ。顔を見て、
話をすれば、どうしてか気持ちが落ち着く。逆に今日のように遠ざけてしまえば、この様だ。昼間の一通りの不幸は、を避けたことに起因するに違いない。
目の前でまた楽しげに話すに、緑間は相槌を打ちながら、それと気づかれぬように笑みをこぼした。
自分にとってが、相性の悪い相手になどなり得ない。その笑顔を眺めているだけで、こんなにも穏やかな気持ちを感じることができるのだから。
「よお緑間気ィ済んだか? じゃあとっとと戻ってこい、轢き殺してやっから」
そう言って現れた宮地に、にこやかに手招きされ、2人は連れ立って体育館へと戻っていった。
めでたし
めでたし