※『桜の樹 の 下に は 、』と同一夢主イメージです。
周囲の人々が図抜けて大きいのであまり気づかれませんが、赤司くんも、決して背が小さいわけではありません。立派に大和男児の平均並みには達しておりますし、女の身である私
よりも十センチとちょっと、頭のてっぺんが高いのです。おかげさまで、出会ってこのかた頭の高いことで叱られたことはありません。ありがたいことです。
ところがそんな、私にとって常に見上げる対象であるはずの赤司くんは今、私のてのひらでころがっています。悪女的な意味ではありません。文字どおり、ころがっている
のです。これはいったいどうしたことでしょう。
小さな小さな赤司くんは、私の知らない学校名が写されたジャージを着ています。白と水色がさわやか。そこは帝光中学校のものと変わらないのですが、それよりもどことなく、
大人っぽい雰囲気です。その背中側のデザインを見せながら、彼は彼の一頭身ほどもあるバスケットボールにしがみついています。小さな、というのもこの赤司くんは全長で二頭身ほど
の大きさしかありませんので、ボールは実に彼の体の半分にもなります。そんな相対的に大きなボールではドリブルすることもままなりませんので、仕方なしに抱きついているようです。
マッチ棒のような腕をめいっぱい回して、右にころころ、左にころころ。ぐっと体を乗り出してお腹でのしかかるようにすると、ボールはぽよんと、やわらかく弾みました。ちょうど、
お昼のテレビショッピングで見かけるバランスボールのような具合です。
その体勢のまま、腕をぴんと伸ばしたり足を浮かせたりして、ぽよんぽよんと遊ぶ赤司くんを、私は真剣に
見つめていました。何しろてのひらの上なので、少しでも注意を怠ると投げ出されてしまいそうなのです。お手洗いの中で、ベビーシートを見張る母親とはこのような気持ちでしょうか。
彼の遊びやすいよう、かつ危なくないように、少しだけ丸めたてのひらの筋肉にまで緊張をみなぎらせていたのですが、しかしついに、私はふすっと息を漏らしてしまいました。
なんだか、嬉しくてなりません。
普段は、私より身も心も一回り大きな赤司くん。凛とした姿勢の彼ももちろん素敵ですが、こうして私の手の中でころころところげまわる彼も、
「小さくて、可愛らしいです……」
と、呟いた私を、ボールを抱え込んだままの赤司くんはふっと振り返りました。
「それは不愉快だな。、起きろ」
「え?」
ぱちりと開けた私の視界に、赤司くんのお顔が映り込みます。夕暮れ時でした。
空は青く深みを増し、その下でようやくつぼみをつけ始めた桜は、日中の色彩を失い、シルエットになっています。その枝ぶりをかすかにそよがせる春先の風の冷たさに、
身ぶるいを起しそうになりますが、ふとそれを遮ってくれているブレザーの存在をお腹の上に見つけました。自前のものは、きちんと着込んだままの私。水色のシャツ一枚になった、
赤司くんの肩口。上から私を覗き込む目元は、最後に夢で見たときよりも精悍に整っております。横たえた体の下で枯れ葉の砕ける音を聞き、私は、ああ、とため息ともうめきとも
取れぬ声をあげました。たまらず、かけてもらったブレザーを口元まで手繰り寄せます。
「ずいぶんな夢を見ていたんだな」
「ご、ごめんなさい……その、赤司くん、部活は」
「今日はミーティングだけだと言ったろう」
そうでした。私はこの桜の木の下で、赤司くんが部活の終わるのを待っているのでした。
帝光中学校は、期末考査の一週間前、生徒を学業に専念させるため、部活動の時間や施設利用に
制限をかけます。今日はその期間に入る一日目で、バスケットボール部もミーティングのみで解散すると、赤司くんに伝えられていました。いつもはもっとずっと遅くなりますので、
肌寒いのを避けて私は教室などで時間を過ごしますが、今日は、それならばと、体育館にも近いここに座り込んで赤司くんを見送ったのでした。それが、いったいどのくらい前のことに
なるのでしょうか。時間の感覚に鈍い私ですが、赤司くんの口ぶりからするに、まだそう経ってはいないのでしょう。すこおし目を離したひまに居眠りをしてしまうなんて、なんと
暢気な女だこと。それも、地べたに横になって。
「この後、俺の家で勉強会の予定だったけど」
私はなんともばつが悪く、そうそうと頷くと、慌てて身を起そうとしました。しかし、ふいに伸ばされた片手にそっと押し戻され、あろうことか、さっきまで草の地面にあった後頭部
を、赤司くんのお膝の上にやんわりと乗せられました。エッ、という声も出ない私に、赤司くんは上からくすっと微笑みます。
「気が変わったよ」
さらさらと私の髪を撫で、指先や手の甲で頬と首筋をくすぐりながらの言葉。
「があんまりにも無防備で、生意気で、微笑ましいから」
「罰ゲームだ」
「今日は俺がいいと言うまで、このまま」
どんな言い訳も、通用しそうにありません。
結局、私がとうとうくしゃみを一つこぼしてしまうまで、容赦してはもらえませんでした。