※この短編は厨二です。実際の「桜の樹の下には」とほとんど関係ありません。
































     

       


               




 「“屍体が埋まっている!”」

 原文ではそのように最後がエクスクラメーションマークで閉じていたのですが、その記号が表現する勢いを取り去った小さな声で、私は指でたどった紙面の文字を読み上げてみました。 別段聞いてほしい気持ちがあったわけではありません。ただなにとなく、麗かな春の日差しに包まれた四月の午後にこうやって、桜の木の根元にお尻をつけて芽吹いたばかりの若草と その上に降る花びらを横目に文庫本を開くという素敵に文学的なシチュエーションが、私の簡単なつくりの脳みそをすっかりその色に染め上げてしまったのです。つまるところ、私は すこおしばかり浮かれ心になっていたのです。そんなお馬鹿な感傷は青い空のどこからともなく吹くそよ風に乗って雲と一緒に流れてゆけばよかったと思う次第なのですが、そのぬるい 風邪はどうやら幼稚な私なんかよりも隣で横になる少年のきれいな瞼の方がお気に召したようです。さらさらと少し長い前髪が横に流れて、赤司くんはうすらと目を開けました。

 「……また妙な言葉を覚えたな」

 低くかすれた声は寝起きの彼の血圧を如実に表していて、草の上にべたりとつけた背中を起こそうともしません。桜の花を透かしてこぼれる日の光に眩むように目をしばたたかせ、 額にかかろうとする花びらに首を振って嫌がります。私は開いた文庫本で口元を隠し、体の上半分だけをひねって横手の赤司くんに向けました。

 「聞こえましたか?」

 「聞こえたよ。ちょうど目が覚めたところだった」

 「恥ずかしい。私の言葉じゃありません」

 「当たり前だろ。また黒子に借りたのか」

 寝たままの赤司くんがふらりと手を伸ばすので、私はその文庫本を手渡してあげました。両手で頭上に持っていって開くと、ちょうどよい日除けになったようです。先ほどよりも はっきりと開いた大きな目で目次のページを声はなく読み上げます。

 「最近仲がいいんだな」

 「そうですね。趣味が合いますから」

 「お前が好きなのは流行りの本だろう。俗っぽい」

 「俗だろうと純だろうと文学は文学です」

 「この本、破ってしまおうか」

 「どうして。黒子くんが怒ります」

 ばらばらとめくっても、小口を下にして掲げていたらページは重なったまま宙ぶらりんになってなんにも読めません。赤司くんはその変な格好の本を下から眺めたまま、「そうだな」、 と呟くと、ぱたりと閉じてまた元の私の手の上にそれを返しました。

 「俺だって近しい人間に嫌われるのは嫌だよ」

 そうして額に片方の手をかざして桜を見上げます。私は戻してもらった本をスカートで覆われたふとももの上に置いて、そのまま膝を抱えました。正面に人の目はないのでなにも気に することなどありません。白い校舎の壁にぎりぎり隠れるここは、視界の横っちょに先生方の駐車場の様子をわずかに窺えるばかりです。

 「“屍体が埋まっている”、か」

 「そんなことあるわけがありません」

 「どうだろう。校庭のなんかわからないよ。とてもきれいな色だから」

 見えないところの話なんかするので、私の頭の中にその様子の記憶が思い浮かびます。
 校庭のぐるりを囲むように幾本も植えられた桜の木。そのどれもが今を盛りとばかりに満開で、 見事な桜色をしています。学校の女の子なんかはその真下だと毛虫がいたりするから嫌だけど遠巻きには眺めていたいのでこの季節お昼はお外に出てベンチに腰かけて食べ、男の子は 暖かな日に誘われて休憩時間サッカーなどをして過ごしますがたぶん桜の姿などあんまり気にとめていません。そんなふうにお花見をするにしてもしないにしてもだいたいの皆が校庭の 方に駆けてゆく中、赤司くんだけはお弁当と私を引っ提げてこの校舎裏に足を向けます。こちら側の桜は私が今背中をくっつけている一本きりなのです。暗い茶色のごつごつした幹に 毛虫がいたことはありません。どころかすずめの子一匹この木に近づくことがないのです。木の下の空気はいつもそれはそれは静かで、校舎の向こうから聞こえる笑い声や話し声は、 誰のものかもわからないふるさとに響くさざ波のように、無縁で無関係で遠くのものに感じます。実際のところ、むしろこちらが離島なのかもしれません。桜の木を囲むようにして そこだけ円形にむき出した土の地面は、よくある海の真ん中に浮かぶ小島のイメージを想起させます。アスファルトとは違ってやわらかいままの地面に腰を下ろして私と赤司くんは お昼をいただきます。それから赤司くんは眠り、私はそんな彼の横でさっきのように本を開いたり、また手持ちぶさたのときには白い桜の花びらが降りかかる彼の寝顔を見つめたり します。
 そういえば、この桜の花は白いのです。私は思い出し、首を反らせて頭上を見上げました。花の群れが視界いっぱいに広がって、向こうもこちらをまた物言わず見下ろしています。 付け根から先へゆくほど繊細になる枝ぶりに咲いた花のひとつひとつが白く、日差しのまばゆさをいっそうふくらませていました。薄水色の空を背景にするとそれは千切れ雲のようで、 鳥の羽のようで、ひらひらと風に舞う様は花というよりは雪に見まがうばかりで、一枚拾って指の腹で撫でた感触は陶器のなめらかさと冷たさを持ち合わせていました。
 花びらをいじる私を見て、赤司くんは微笑みます。私は首を傾げて問いました。

 「この桜は白いのですね」

 「そうだね」

 「種類が違うのでしょうか」

 「知らないよ」

 「なぜこうも白いのでしょう」

 「さっき自分で言ってただろう」

 「何を」

 「“屍体が埋まっている!”」

 「まさか」

 「ここには埋まっていないんだ。きっと」

 花びらを摘んだ私の手を赤司くんが引きました。私はもう片方の手を地面について、促されるままそちらに身を乗り出します。そして上半身を支えるその肩肘を、不意を突かれて 折り曲げられてしまえば、体の安定は一息に崩れてしまいます。横になって倒れ込んだ私は、草のにおいを間近に感じました。反射でつむった目を再び開けば、頭上には赤司くんの顔。 両腕と脚で私を囲った赤司くんはまばたきの少ない目でじっと私を捉えます。

 「を埋めれば色づくのかな」

 動けば唇が触れてしまいそうだったので、私は体は横に向けたまま、首だけで赤司くんを見上げました。空と花を背にした彼の姿は逆光で暗く、縁取られた輪郭ばかりが奇妙なまでに 光を放ちます。草と花びらをざわめかせていった風に揺れ、網膜の裏側を焼き切るような彼の色に呆然としてしまい、私は手を伸ばしました。

 「赤司くんの方が、きっと素敵な色になります」

 横髪にそうっと触れて、それでもやはりこそばゆさが肌に伝ったのか、赤司くんは少しばかり首をすくめてまばたきをしました。指先を離して見れば、無垢な猫のような瞳が私に 問い返します。

 「が埋めてくれるのか?」

 「そんなことしません」

 「最低だ」

 「まあ」

 そう言って私の隣にころけた赤司くんは笑いました。その拍子に彼の背中からはがれた土くれや葉っぱが私のお腹の上にも降りかかり、軽い花びらは低く息を吐き出すような笑い声と 共に宙へ舞い上がってゆきました。文庫本は私の膝頭の横に、表紙を閉じて横たわっています。
 きっとこの地面の下にはなにものも埋まってはいません。なぜかってこんなにも、私と彼の気持ちを空っぽにするのですから。






参考:梶井基次郎「桜の樹の下には」