「ねえねえ花宮くんってさー、けっこういいよね」
「あ、わかるー。バスケ部の人でしょ?」
「キャプテンやってるらしいよ」
「強いんだあ」
「やっぱスポーツできるって大きいよねー」
「頭もいいし!」
「こないだの期末考査二位とかじゃなかった?」
「やばー、医学部とか行くのかな」
「えー白衣? 似合うかも」
「かわいいー」
「あ、でもけっこう性格キツイらしいよ?」
「え、まじ?」
「あ、聞いたことあるかも。なんか最近すっごい荒れてた時期あって、そんときに告っちゃった子、ひっどいフラれ方したとか」
「何それこわー」
「えー、でもそれウワサでしょ? 普段そんなことする感じじゃないよ」
「私係の仕事手伝ってもらったことあるし」
「なんかよくわかんないねー」
「タイミング悪かっただけなんじゃない? その子」
「クリスマスに向けて焦りすぎたとか」
「まあでも気持ちはわかるわー」
そして話題はクリスマスへと移る。彼氏の有無にもより悲喜こもごもな彼女らの談笑を、私はその輪の中にいながら聞くともなしに聞いていた。正直、それどころではなかったのだ。
冬休みの宿題が終わっていない。残り十数ページの数学ワークに血眼でシャーペンを走らせながら、しかし耳たぶには、先ほどの彼女らの言がひとかけ引っかかっていた。
花宮くんは性格キツイ。らしい。冬休みも開け、今学年も残すところ三か月。彼とはそれまでの時間を一応クラスメイトとして過ごしてきたが、そんなこととはつゆ気がつか
なかった。思えば、彼との交流はほとんどなかった。会えば挨拶くらいはするけど、それだけだった。きっとあと三カ月もそれだけだろう。ならば彼の本性が彼女らの語るどちらで
あろうと、私には然して影響のない話だ。
そんなふうに頭の隅っこでぽつぽつと湧いていた彼についての思考は、そこで不意に打ち切られた。予鈴が鳴ったのだ。同じクラスの友人たちは自分の席へ、他クラスから遊びに
きていた子らは自分のクラスへと、わらわら散っていった。その中の一人の友人が私の机の上から、きっちりと丁寧に解答されたワークをひょいと取り上げた。
「じゃーね、。あとは自分でやんなよ」
「ご無体な! でもありがとう!」
それから後は、残りの問題をなんとかかんとか自力でどうにかすることで必死だった。結局どうにもならなかったわけだが。
つまり、花宮くんについての話は、関係ないということで私の中では完結していた。それ以上思考が進むこともなかったし、進める必要も感じてはいなかった。
しかし、現実は思ったよりも都合良くできていた。現実の可能性を忘れていたとも言える。冬休み程度の宿題をできないという理由でため込むおバカな私と、女子の浮ついた話題にも
のぼる秀才花宮くん。両極端な生徒が同じクラスにいる場合、その担任が思いつかないこともない丸投げ案。
「お前このままだと進級危ういしなあ。花宮にでも勉強見てもらうか」
呼び出しを食らった職員室で、私はぽかんと間抜けに口を開けた。
そして現在。
「そう、それでここもさっきの公式使って」
「あ、ああー、なるほど」
放課後の教室。まだまばらに人の残るその一角で、私と花宮くんは机を向かい合わせていた。
花宮くんの指が示したところに、理解したての公式を当てはめていく。計算に苦戦しつつも、きちんと答えが出た。一人で格闘していたときの何倍ものスピードで、すっからかん
だった解答欄が数字で埋まっていく。信じられない。問題が解けることよりもむしろ、向かいの席で頬杖をつく花宮くんの存在が。なるほど、なんて能天気な言葉を発しながらも、
私の内心はちんぷんかんぷんだった。
俺から頼んどくよ、とオッシャッテもうこの話は終わりだと言わんばかりにひらひらと手を振った先生に、私は戸惑いながらも頷いた。止める理由も断る理由も特にない。むしろ
ありがたい話ではあるし、先生がセッティングしてくれると言うなら、私はそれに従えばいいだけのことだ。しかし、花宮くんがそんなことを承諾するだろうか。確かに私と花宮くんは
クラスメイトだ。そしてその関係の裏を返せばつまり、友だちですらない。義理も人情も接点も特にない人間に勉強を教えるなんて、そんな奇特な人物はそうそういない。私だったら
適当に理由をつけて断る。そもそも頼まれること自体まずないけど、それでも断るったら断る。だから私は、きっと花宮くんもそうするだろうと、あまり深く考えずにそう思っていた。
この話が持ち上がったのが、一時限目と二時限目の間の休み時間。それから何の音沙汰もなかったので、私はひとり合点していた。なので、帰りのホームルームの後、花宮くんに
声をかけられた私は、鞄に詰め込もうとしていた教科書を取り落としそうになった。
向かいで、花宮くんが感心したような呆れたような調子で言った。
「何だ、できるじゃん」
「いやあ、教えてもらってるからね」
手を横に振り振り、謙遜のまねごとついでに、その顔をちらりと見遣る。頬杖のせいでほっぺの肉が少しだけ目元へ盛り上がっていてかわいらしい。でなくて。
朝方の友だちの会話を思い出す。花宮くんって性格キツイらしいよ。しかし、彼の態度はいたって普通だった。わざわざ放課後の時間を割いてくれているというのに、その表情からは
苛立ちも気疲れも読み取れない。受け答えの調子にも、面倒そうな印象すらない。質問すれば、返してくれる。こちらの手が止まれば、さりげなく助け舟を出してくれる。説明も、
私のレベルに噛み砕いてくれているのだろう。自分が当たり前に理解していることを、そうでない相手にわかるよう伝えるのは、かなり骨の折れる作業だろうに。私はつくづくと思った
ことを、そのまま口にした。
「花宮くんって親切だね」
「……はは、何いきなり」
一拍置いて、花宮くんは笑った。つられて私も笑った。照れてるのかなあ、なんて思った。ほのぼのとした気持ちで、私はまた新しい問題に取りかかった。
なので、その後もしばらく、花宮くんの顔がうすら笑っていたことに気がつかなかった。
「……できたあ!」
「お疲れ様。とりあえず今日の目標は達成?」
「うん」
花宮くんが私の机の上からプリントを取って、ざっと確認するように眺めた。少し間を置いて、「いいんじゃねーの」と頷く。
「じゃ、オレ行くわ」
「うん、ありがとう! ……って、もしかして花宮くん、何か用事あった?」
「いや、べつに。部活だけど」
事もなげに言って、机を元の向きに戻す。私はその花宮くんの発言に一時思考を凍らせ、そして慌てて立ち上がった。
「え、ええっ、ちょ、そういうことは先に言ってよ!」
「何で?」
「何でって、だって、だったらこんなに時間取ってもらわなくても……ご、ごめんね!」
「いいさ、べつに。オレから勝手にやったことだし」
帰り支度をしながら、軽くそんなことを言ってのける花宮くん。黒板の横にかかった時計は、午後六時を示そうとしている。こんな時間まで、どう考えたってきっと部活に遅刻
してしまっている。
私はそわそわと落ち着きなく教室を見回した。いつの間にか私たち以外誰もいなくなっていたそこに、花宮くんが机の中を整理する音だけが目立つ。その音にかぶせて、花宮くんがまた
口を開いた。
「明日はどうする?」
「え、あ、明日って、いいよそんな! 花宮くん忙しいんだし……」
「あー、まあ、けど先生に頼まれてるのもあるからなあ。引き受けといて投げ出すのもあれだろ」
いちいち律儀なことを言ってくれる彼に、私はうろたえた。どうしよう、どうするべきか。私のだめな頭のために、これ以上花宮くんのぴかぴかな頭脳と時間を使ってもらうのは、
今更だが、非常に心苦しい。けれども、その花宮くんが自ら、私なんぞの面倒を見てやると申し出てくれている。これを無下に断るのも、何だかもったいないし申し訳ない気もする。
もんもんと葛藤する私のすぐ横、廊下側の窓の向こうを、男子生徒が三人通り過ぎた。笑い声に視線がつられる。その先で、一人の生徒が手にしていたフルーツオレが目に入った。
その瞬間、私の頭の中でふよふよと、浮かび上がりそうでなかなか出てこなかった案が、豆電球に光が点ったようにぱっとその姿を明らかにした。
「そ、そうだ! じゃあさ、勉強見てもらう代わりに何かおごるよ! ジュースとかお菓子とか、まあ、私のお財布ができる範囲になっちゃうけど……」
どうかな、と手を合わせて花宮くんに向き直る。そして私は、あれ、と首を傾げた。
「へえ。それで?」
花宮くんは、じっと私を見据えていた。先ほど通りすがった生徒達には、人の声が聞こえたときの自然な反応すら示さず、ただ私を見据えていた。激しい違和感。
「……え、えと、それでって」
「他。他には何かしてくれねーの」
「ほ、他? ええー、と」
「昼飯買ってきてくれるとか」
「う、うん」
「掃除代わってくれるとか」
「あ、うん」
「届け物してきてくれるとか」
「え、うん」
「鞄持ちしてくれるとか」
「は、うん、ん? え?」
「わかんねーの?」
ふは、と、さっき笑ったときの何十倍も楽しそうに、花宮くんは息を吐き出して笑った。笑った、というか、嘲笑ったと、例のごとく国語の成績も悪い私でもそんな字を宛がいたく
なるような、ひどく意地の悪い顔をして。花宮くんは嘲笑った。
「パシリやれって言ってんだよ。サン」
猫かぶり、化けの皮、上げて落とす。友だちの言が、耳の奥でリフレインする。
花宮くんってけっこう性格キツイらしいよー。
なるほど確かに。けっこうって言うよりすごく。キツイって言うより悪い。
この人すごく性格悪い。