「じゃあな、火神、! せいぜい頑張れよー」
一足先に課題を片づけ、意気揚々と帰宅していくクラスメイトたちを、私は笑えない気分で笑って見送った。ふたつ隣の席では火神くんが、うるせー、とそんな彼らに悪態をつく。
話し声と笑い声が廊下の向こうへ遠のいて、教室には私と火神くんの2人が残った。
「お約束だね、火神くん」
「お前もな、」
思い出すのは、今日のお昼休み。数学の先生が突然教室にやって来て告げたのは、小テスト成績不振者に向けた補習。その時点で私はお弁当の卵焼きを喉に詰まらせ青い顔をしていた
わけだが、先生はそんなことにもちろん構うこともなく、対象者の名簿を黒板に貼って帰っていった。そのわら半紙を恐る恐るチェックしてみたら、案の定。私の名前と、あと数人、
そして、火神くんの名前が走り書きされていた。
そういった経緯で、今私たちは輝ける青春の放課後を、1枚のプリントに捧げているのである。バカ故に。
「うわーい、わかんない」
「くっそ、アイツら何でこんなもん解けるんだよ。イカサマしたんじゃねーだろーな」
「きっと私たちよりかは勉強できると、そういうことだよ」
「地味に落ち込むこと言うなよ……。あー、くそ、けどマジでやべえ。早く終わらせねーと」
「火神くん何か急いでる?」
「部活」
「ああ、バスケ部だっけ」
おう、と頷きながらも、シャーペンを握りしめ必死な様子でプリントを睨んでいる。
そんな火神くんとは真逆に、私はというと既に諦めモードだ。だらしなく両手で頬杖をついて、ひとつ席を隔てた横顔を眺める。
「大変だねえ」
「お前もだろーが。つーか問題やれよ」
「ちがうちがう、部活の話」
「は? ああ、まあ、好きだしな」
「そっか」
「まあ、練習はけっこうキツイけど。つーかカントクがな、こえーんだよ」
「そうなの?」
「すげえ人だけどさ。この補習のせいで練習間に合いませんでした、とか言ったらぜってーどやされる」
「えらいこっちゃね」
「だからやべーんだって。ああくそ、わかんねー! 学生の本分は何だか知らねーけど、オレの本分はバスケだっての!」
そうぼやいて、火神くんは途中まで書いたっぽい解答をごしごしと消した。やっぱり間違っていたらしい。私と同レベルの火神くんがこんな問題解けるわけがないのだ。私は肩を
すくめる。
そんなことよりも、私は火神くんの言葉が気にかかった。
「いいなあ」
「あ? 何が」
「好きなものがあって」
「? バスケか?」
「うん。私、そういう夢中になれるものって、あんまりないから」
勉強は、見てのとおり苦手だ。数学も英語も社会も国語も、どうにもぴったりこない。体力テストの成績は万年C。音楽や芸術の才能も特にないし、趣味は無難なところで読書、
とか言えるほど本も読まない。おしゃれはそれなりにするけど、人並みの格好はしておきたいという、その程度のこと。家に帰ったら、友達とメールして、ご飯食べて、テレビ見て、
お風呂に入って、寝る。我ながら月並みな毎日。本当に、心の底から楽しいと思えたことなんて、小学校の頃の遠足くらいじゃなかろうか。
「うらやましいなあ」
火神くんを見て、ふとそう思った。
やりたいことがあって、それに向かって一直線でいられる。何か立ちふさがるものがあって、それが苦手なものでも、体当たりしていける。自分の本分はバスケ、だなんて
言い切ったときの火神くんの表情は、数学に苦戦しながらも、なんだかいきいきして見えた。
素敵だなあ、と思った。
「……じゃあ、マネージャーでもやってみるか?」
「え?」
「いや、特に好きなものねーんなら、バスケとかどうかと思って」
「えっ、いやいや、私そんな運動得意じゃないし、ルールとか知らないし」
「それは、まあ、全部追々でいいだろ。とりあえず、見てみるだけでもいいから」
「でも、えーと」
「つーか、まあ、オレはがオレと同じもん好きになってくれたら、嬉しいし」
言って、なんだか中途半端な感じに、火神くんは言葉を切った。私も、泳がせていた視線をぴたりと止めた。
微妙な間合いの沈黙が流れる。
「……や、何言ってんだオレ」
そう呟いて、火神くんはプリントとにらめっこする作業に戻った。私は口を半開きにしてぽかんとする。
またカリカリと聞こえた始めた、シャーペンが紙面を滑る音に、このままでいてもしょうもないと諭される。ふわふわと、同じくプリントとのにらめっこに戻ろうとした私に、
火神くんは言った。
「まあ、考えといてくれよ」
「う、うん」
結局2人とも、先生が様子を見にきてくれるまで、1問も解けなかった。
最後まで2人だけ残ってしまった補習
Title / 魔女のおはなし
「あるようでないベタな展開」から拝借