晩秋の夕方。日増しに募る寒さが私から体温を奪っていく。もう白く芽吹く吐息は高校受験を遠い昔の出来事のように鉛色の空へと引き連れていった。私は敦と並んで、駅までの道を辿る。私より一回りも二回りも、それよりも大きな手を縋るように握って放さない。少し乾いた敦の手がそれに応えるから、私の足取りは自然に、恐ろしいほどに重くなる。鼻を掠る晩御飯の匂い。三拍子で包丁がまな板とぶつかる音。生活音。このまま私たちは何度も繰り返してきた生活へと溶け込んでいく。いつかそれを厭わなくなる時が来るのだろうか。そうなる前に私は呼吸を止めてしまおう。
「ちん、コンビニ寄りたい。」
閑散とし出した思考に生気の薄い声が滑りこんでくる。熱のこもらない声も、ひどく私の鼓膜を揺らした。黒いパーカーのフード越しに見える敦の顔は一年前から今も、なにも変わらない。熱のこもる頬を誤魔化すように私はぎこちない笑みを顔に張り付けて、頷く。
軽快な音楽の流れる駅の構内のコンビニには人の群れが完成していた。敦の目的はいつものお菓子売り場だ。それを知っている私は彼が人混みの中でも一人で移動しやすいようにと、惜しみつつも握った手の力を弱めた。すると敦はさっきよりお釣りが来るくらいの力で握りなおしたから、それが合図のように、私たちは手を繋いだままコンビニへと入っていく。
コンビニは五歳の幼稚園児も私たちのような甘っちょろい高校生も、ちゃんとお客様に仕立て上げてくれる。大学生くらいのアルバイトのお兄さんは私たちに用意された敬語を使い、私たちの為に商品を白いビニール袋に入れて、精算してくれる。アルバイトのお兄さんはいくつかのお菓子と五百円玉を出す敦の横でなにもしない私を視界にすら入れず、レジを開けてお釣りを取り出す。ありがとうございました、と言われその場を去るまで、私はその空間で敦と繋がる手にしか人間らしさを感じることができなかった。
駅の中を歩いていると、行き交う人たちは大抵敦のことを見上げて、次に並んで歩く私を見つけて、邪魔をしまいとなにもなかったように視線を戻していく。第三者の異物を見るような視線にももう慣れたけれど、中学時代の付き合い始めにはなかなか胃を締め付けられた。第三者の目が気にならなくなったのは間もなく、敦と初めてのキスをしてから。それが私にとっての初めてで、敦にとっての初めてだった。私たちはこれから二人でお互いの初めてを共有していくのだと悟った時、私ははっきりと思い出したのだ。私には敦がいればいい。たったそれだけのことを丹念に磨いて、磨いて、今でもそれは輝きを放っている。泣きながらそれを磨いて放さない私はまるで病気のようだ。
広い東京の駅で、私と敦は大きな時計を同時に見上げた。精確な時計の針の傾斜が握った手により一層の力をこもらせる。受験の、合格発表前のような面持ちだった。早春の正午、あの日も、ちっとも緩まない寒さが私から体温を確かに奪っていった。でも、都内のなんの変哲もない高校で自分の受験番号を見つけた瞬間に、根強く張り詰めた緊張が溶解して目が潤んだのを覚えている。そして一緒に見に来てくれた敦におめでとう、と言ってもらえた時、二つの理由で私の目から涙が流れた。
「敦、」
「うん?」
「切符持った?」
「持った。」
「そっか。」
「…ちん、」
「なに?」
「また、こっち来る時、連絡する。」
「うん、待ってる。」
彼は、また私からいなくなってしまう。この身を裂くような寂然は何度味わっても変わらない。それでも、私も敦もお互いを欲するのをやめない。いつか、いつかという小宇宙を信じているから、私は亀裂の入った平常心を隠し諂うのを、やめた。