前方にものすごいのを発見して、は凍りついたように足を止めました。
 体長2メートルはあるでしょうか。乾いた藁に覆われた背中はもさもさしています。片手には何かの台帳、そしてもう一方の手には、包丁。よく切れそうなそれに、の眼球は 嫌な感じに釘づけになります。刃がぎらりと光りました。振り向いたもさもさは、赤黒い鬼の形相をしていました。

 「あ、ちーん」

 「いやあああ来ないでえええ!!」

 「待ってって、オレオレー」

 「ごめんなさいごめんなさい言われたとおりに振り込みますからオレオレ詐欺だけは勘弁……って、その声、むっくん?」

 「ピンポーン」

 カポッ、という軽い音を立てて、鬼の形相が外れました。その下から現れたのは、何を考えているのかよくわからないとよく言われる、紫原の顔でした。鬼の形相はお面だったの です。は安心に、どっと肩の力を抜きました。

 「な、なんだーもー、おどかさないでよ! 何その格好は!」

 「なまはげー」

 「なぜにそのチョイス」

 「んん? 何でだろ? 秋田だから?」

 「なるほどねえ」

 それにしても、紫原の体格にこの扮装は、なかなかシャレになりません。図抜けて身長の高い彼に包丁をかざされると、とんでもない威圧感です。これに鬼の面もつけば、 悪い子でなくとも頭のてっぺんから竦みあがってしまいそうです。事実、も一瞬食われるかと思いました。

 「それよりさーちん、いいところに」

 「ん? どうしたの?」

 「オレさっきちょうどお菓子切らしちゃってー。だから、はい」

 「? ……あ」

 突き出されたてのひらと、待てをしているような紫原の顔。そのふたつを交互に見比べたの頭の上で、一拍遅れに電球が光を灯しました。しかし、とは片手に携えた 空っぽのバケツを見遣ります。

 「持ってないよ」

 「えー、まじ?」

 「うん。私がもらうつもりだったから」

 「ええー。ないわー」

 「ご、ごめん」

 手を合わせるを見下ろして、紫原は唇を尖らせます。そこから漏れる子供のようなうなり声に、はたいそう落ち着きません。お菓子が切れた紫原はわかりやすくご機嫌 斜めになるので、正直めんどくさいです。はらはらと上目にうかがうでしたが、紫原はふと、何か思いついたように唸るのをやめました。

 「じゃあ、食べていい?」

 「え? だからないって」

 「お菓子じゃなくて、ちん」

 「へ? ……は? うわっ」

 わさっ、と音がしたかと思うと、いつの間にか紫原はいつもの制服姿になっていました。そしてなぜか、は押し倒されていました。間近に迫る、緩んだネクタイと襟元があざとい です。

 「何だっけ、えーと……お菓子くれなきゃいたずら? だっけ?」

 少し長い髪をさらさらと揺らして、紫原は首を傾げます。その柔らかい毛先が頬をかすめて、の頭は沸騰しました。いったいどこのどなたが、いたずらイコール性的なごにょ ごにょと取り決めたのでしょうか。さっきも思いましたが、今度はそういう意味で食われそうです。
 これはまさしく。は叫びました。

 「お約束展開乙!!」